「普通のヒト」は「無能なヒト」なのか?

「あのヒトには能力(才能)があるからできるんだよ、普通のヒトにはできないよ」というカンジの言葉によくぶつかるのだが、まぁ、できないヒトにとってみたら、そうでなければ困るわけで…。それは人智を超えたトコロで与えられた能力であってくれなければ、持たざる自分の立つ瀬がないと。

 

そうなると、ここで言われる「普通のヒト」というのは、能力を持たないヒトという意味なのだろうか?では、普通であるということは、能力の無い、つまり無能であるということなのだろうか?「普通のヒト」は「無能なヒト」と同義になるのだろうか?

 

一方で、強み弱み理論とでも言うべきものがこの世には存在している。誰にでも何かしら秀でた部分があり、その能力を開発すべし、という言説だ。

 

しかし、世の多くのヒトたちは己の中にその秀でだ部分を見つけることができず、怨嗟の声を上げ、血を吐き、のたうち回っている。

 

やはり「普通」であるということは、秀でた能力の無い「無能」ということなのだろうか?「普通」であるということは、それだけで罪深く、世を呪わずにはいられないものなのだろうか?それだけで誰かを妬まなければいけないものなのだろうか?

 

いや、そもそも「普通」など本当に存在するのだろうか?あなたは「普通」なのか?では、ワタシは「普通」なのだろうか?あなたの知っている「普通のヒト」とは、どんなヒトなのだろうか?ワタシの知っているヒトで「普通のヒト」というのは、どんなヒトなのだろうか?「普通」なのは誰だ?そして、その人物は「無能」なのか?あなたは「無能」なのか?ワタシは「無能」なのだろうか?

 

「普通」が存在し得ないとしたら、「無能」も存在し得ないのではないか?「普通」という概念の定義が掴みどころのないものだとしたら、「無能」の概念の定義も掴みどころのないものなのではないだろうか?

 

「普通」とは簡単に使われるし、なんとなく概念が共有されているような気がするけれども「普通」とは何なのだ?

 

「あのヒトは特別で(自分を含め)普通のヒトには無理だよ」

 

「普通」とはなんなのだ?ポジションか?カーストか?セグメントか?わけがわからないのに「普通」と括っているのか?

 

個性は唯一無二で同じ個人はいない。だからヒトは尊い。などという寝ぼけた話しはいらない。

 

なあ、あなたは「普通のヒト」なのか?