真面目は美徳なんかじゃあ、ない
真面目であることは、まったく美徳なんかではない。真面目であるということは、言動が予測範囲内で注視しておく必要がないということだ。
こうするであろう、という範疇からは出ないということが確定している、そういうつまらない存在が「真面目である」ということなのだ。
社会では幼少の頃から真面目であれ、と推奨される。褒められたりもする。美徳だと考えられている。
いや、それは扱いやすくて手間がかからないから、そう言われているだけなのだ。
真面目だと評されて、ポジティブに捉えて過ごしてきてしまうと、取り返しのつかない凡庸な人間になってしまう。社会にとって無害な人間であることが、幸せであるとは限らない。真面目であれ、とはある意味、教育による洗脳みたいなものだろう。
誠実さは美徳だと考えられるかもしれないが、真面目さは決して美徳なんかじゃない。
型や枠組みにうまいこと収めるための都合のいい概念でしかない。
のせられてはいけない。簡単にコントロールしたいだけなのだ。褒められているのではない。チョロいと思われているだけなのだ。