人生を無為に過ごすことに罪悪感を感じてしまう

 

日々時間を浪費して無駄にしている。寿命を無駄に使っているともいえる。

でも何をしたら無駄じゃないのかよくわからない。現状、無駄にしていると感じるというだけなのだ。

 

変な話だ。

 

正解との誤差を認識して初めて間違いを認識するんじゃないのだろうか。

正解がよくわからないけどこれは違う。

 

何だか説得力がない。

 

そういうこともある。すべてが1か0かに分類できるわけじゃない。この世は正解と不正解で構成されているわけじゃない。微妙なグレーゾーンがほとんどだ。

いや、そういうことはわかる。

 

でも、浪費の罪悪感が拭えない。

 

こんなんじゃない本当のまだ見ぬ自分がいる。そんな幻想を持っているわけじゃないし、この世の何処かに自分の居場所があって今はまだそこを見つけられていないだけ。なんて空想も持っていない。

 

けれども、浪費感に苛まれる。

 

確かに全力で生きているのかと問われれば、そんなことはないわけで。

ぼーっと毎日を無為に過ごしていたら人生はあっという間だよ。

 

うん、そうなんですよ。

 

なにか始めてみれば? なんていう話もありがちだけど、そのなにかを継続しているインセンティブがない。あるのは無力感。

 

いや、五体満足で健康で、住むところがあって食事にはとくに困らなくて……

幸福でしょ? といわれても。

あるモノの有り難みを知りなさい。感謝をしなさい。

 

そうなんだけどね。

 

知識としてはわかっているし、実際そうなんだけど、実感としては希薄なことは否定ができない。どうも下を見て現状を喜べっていわれているような気にもなる。

 

確かに下を見ても限はないし、上を見ても限がない。そもそも他人と比べることには意味がなくて、そんなことをやっていると人生は不幸なだけだ。そんな話もある。

 

人生において重要な事は、他人と比べない、他人に期待しない、この2点だと多くの人が言っている。

 

でも、他人との関係性の中でしか己を客観的に知ることができない以上、この2点を純粋に実行することは難しいのではないだろうか。少なくとも一般的な社会生活をおくる以上は避けられない気がする。難易度が高すぎる。

そこまで悟りを開けそうにない。

 

哀しい俗物なのだな。

 

何にもなれず、捨てられず、得られず、進めず、戻れず……

ぐるぐる廻りながら時間だけが過ぎていく。

残された時間だけが減っていく。

無からは始まり無へ戻っていく。だから構える必要はない。

 

そうなのだろうか。

 

みっともなく苦しんで、のた打ち回る。

苦痛だけが生きることで得られるすべてなんじゃないのか。

そんなことはない、と否定したくて、否定してもらいたくて、ぐるぐるやってるのかもしれない。いや、万人がどうかは知らない。自分の本質がそうなのかも知らない。いや、わからない。所詮、人間は自分ひとりのことも満足に理解できないまま死ぬのだろう。

 

そうか。死ぬまで続く自身との対話が生きるという事かもしれない。

 

おそらく答えなど出ないのだろう。

なんだ。人生は究極の無駄なのだな。

無為でもいいのかもしれない。

 

そもそもなにが欲しいんだっけ。