今日死んでも別に後悔はないなぁ

 

 よくある問に「もし明日死ぬとしても人生に後悔はないか」というやつがある。だから今を全力で精一杯生きなさいよって感じの話しがセットで付いてくることが多い例のアレだ。

 

 でも、たぶんコレって自分の未来に可能性を感じることのできているヒトにしか響かない言葉じゃないのかな。自分の場合は別に今日死んでしまったとしても特に後悔はないし。

 いや、もう何かをやり切ったとか、既に全力出したから後は余生だと思っているからとかではない。むしろ何にもやってないし、己が生きた証もなにも残していない。でも別に後悔はしないだろうね。

 なぜなら、このまま生きていたとしても現状と特に何も変わらないだろうから。期間が長くなるだけで、何かをやり切ることもないだろうし、何かを残すこともないだろうから。生きていれば未来においてこういうことができたのに、あぁいうことができたのに、ってのがちっともない。だから後悔はしないと思う。

 

 あぁ、死んだんだね。

 

 それで終わりだと思う。まぁ、そのままにしておくと恥ずかしい品々とかデータとか(詳細はヒミツ♡)そういうものは処分しておきたいなぁとは思うけど。おそらく後悔するとしたらそのぐらい。

 

 死を意識してエンジンをかけられるヒトってのは、自分の未来に期待が残っている、希望があるってことなんだろうね。生きていれば成せることがあると思える。または思っている。もしくはその能力があると感じている。

 

 別に今の自分が手を抜いて生きているわけじゃない。それなりに血反吐吐きそうな思いをして毎日を生きている。フルブーストで生きているわけじゃないけど、適当に流して生きているわけでもない。

 でもこれ以上長く生きたからといって何かが変わるとも思えない。このままが続いていくのだろう。いや、どちらかというと今よりも緩やかに悪化していく未来しか想像できない。

 明るい未来に希望を馳せることのできるヒトのことが、何だか遠い宇宙の果てにいる異星人のように見える。妬ましい気持ちがないわけじゃないけど、自分とは全く異なる世界の物事にしか見えない。

 惰性で続くならスパっと終わってもいいかもしれない。いや別に自殺志願者とかいうのとは全然違うんだよね。終わりも悪く無いという感覚がどこかにあるというだけの話し。漠然とした諦念みたいなものを抱えて、そいつと共存しながらゆるゆる生きていくってことになるのだろう。

 全力疾走に伴うランナーズハイだけが至極のエクスタシーってわけじゃないでしょ、きっと。