潔癖症ぎみのヒトは他人を変えようとしすぎるから鬱になったりするんじゃなかろうか

 

組織の正義やルールって世間一般のソレとは違うので、変な義憤に駆られたり正義感に突き動かされちゃったりすると痛い目を見ます。

 

理不尽で納得イカない事態に遭遇しても(あぁ、そういうトコロなのねココは)っと思うようにしてスルーしましょう。オレが組織を変えてやる!とか思ってもいいんですが、まぁ、まず無駄です。そもそも変えることが正しいんですかねぇ。

 

組織は様々な力学で動いています。そこで蠢いているものは正義でも理念でも美学でもない。複雑怪奇な政治です。大半の組織は政治ゲームに明け暮れるための箱でしかありません。まぁ、そのうち箱はボロボロになるのですが。

 

ヒトが集まればそれだけ欲望も集まって、その種類も多様になる。何が正しくて間違っているかを判別することには、なんの意味もない。立場が変われば見方も変わる。ヒトが変われば感じ方も変わる。そう、唯一絶対の真実なんて存在し得ないのだ。勘違いしてはいけない。なので、政治ゲームに明け暮れることも悪ではない。しかし、正義でもない。好きなように解釈すればいい。ただし、箱はボロボロになるけどね。箱がボロボロになることが善か悪かも好きに解釈すればいい。ボロボロになって無くなるのも自然の摂理なのだから。お好きなように。

 

自分で思い込むのは勝手だが、それが絶対の正義だなんて思わないことだ。正義なんか存在しない。善も存在しない。ただそこに在るだけなのだ。意味付けには何の価値もない。だからヒトに強要してもいけない。自分の正義は自分だけでしまっておけ。ヒトに見せなくていい。ってか、んなもん見せんな。気持ち悪い。

 

あらゆる価値観の存在を認めることだ。賛同しろということではない。そういうモノもあるのだな、と認識すればよい。それだけ。反論したり叩いたりする必要はない。いや、そんなことはしてはいけない。自分以外を認められないと、ただ苦しく辛いだけだ。誰も幸福にはなれない。いますぐ止めることだ。

 

クソみたいな隣のアイツも、カスみたいなアンタの上司も、放っておきなさい。彼等は彼等の理論で今日を生きている。それはいいことでも悪いことでもないのだ。ただ生きている。それだけだ。気にするな。