電気ケもじゃはツルッとボデーの夢をみるか?

 

 ワタシはカラダのおケケが少しばかり豊富というか、若干ケもじゃというかなんというか…まぁ、アレだよ。いやいや、今あなたが想像したほどじゃない。”ぎゃらんどぅ”でもないし。そこはあらかじめ否定しておこう。妙な誤解を受けても困る。そこそこマイルドなケもじゃだ。いや、だからモップじゃないから。

 まぁいい。それでこのケもじゃにはちょっとした問題があるのだ。ツルッとボデーには想像もつかないことだ。ツルツル系のイメージの限界をはるかに超えているはずだ。

 それは入浴と関係がある事象なのだ。ここ数日は夏が近づいてきていることを嫌でも実感させられる陽気だが、暑くなってくるとついついシャワーだけになりがちだ。しかし、暑くなってきても湯船に浸かることをワタシは強くお勧めしたい。お湯に浸かることはリフレッシュ効果が高く、精神衛生的に優れた行為だといえる。また、発汗作用が促進されることにより新陳代謝が活性化され、身体的にも好ましい効果が得られることこの上ない。 いいことばかりではないか。

 でだ。お湯に浸かることの利点と素晴らしさは、本件の本質とはなんら関係がない。いや、そうなのだから仕方がない。また、シャワーだけでしばらく過ごすにしても、浴槽には水を張っておいた方がよいぞ。万が一、災害が起こった場合への備えだ。っという死んだバァちゃんの豆知識も、本件の本質とはなんら関係がないことを先に言っておこう。

 さて、入浴という儀式は一般的にはどのような順番で執り行われているのだろうか。いきなり湯船に入るのか、それともカラダを洗ってから入るのか、はたまたカラダもアタマもあんなトコロやこんなトコロも、すっかりしっかりばっちり洗ってから入るのか。過去も洗い流せるのか。ひとそれぞれやり方は千差万別だろう。縋るための過去が必要なひとだっている。

 以前のワタシはすっかりしっかりばっちり派だった。人生で重要なことのひとつは清潔であることだ。なんといっても気分がいい。気分がいいことは素晴らしいことだ。入念に丹念に時間をかけて無心で洗っていく。そこには禅にも通じる精神の安定と平和がある。そしてあやうく悟りを開きそうになったりする。浴室あるあるだ。

 すっかりしっかりばっちりが終わるとお湯へと足を入れていく。浴槽内に両足で立ち、一瞬息をためて一気に肩まで浸かる。はじめは全身をぴりぴりっと熱さが包み込んでくるが、徐々にゆるんでいく。少しの我慢が気持ちよかったりもする。マゾなのか。そして、息をゆっくり吐き出しながら全身を弛緩させていき、浴槽の中でカラダを倒しつつ静かに目を閉じる。1日の疲れが癒される瞬間だ。至福の時。

 そしてゆっくりと目を開けると、そこは立ち込める湯気の中。白くぼんやりとした虚空から目線をお湯へと落とすと見えてくるものがある。お湯に浮かぶ髪の毛だ。

 そう、どんなに丁寧にカラダを流しても浮かんでくるのだ。忌々しい己の髪の毛が。なぜか。はい、ご明察。おケケに絡んでいるのだよワトソンくん。髪の毛が。なんと、こともあろうに完全には洗い流せないのだ髪の毛。おそるべしケもじゃ。参ったかケもじゃ。ケもじゃにしか起こらない怪奇現象だ。ケもじゃが背負う十字架なのだ。どうか悲しまないでほしい愛しいひとよ。これは定めなのだ。運命なのだよ。

 いま現在のトコロ、こいつを完全に防ぐ手立ては存在しない。現代の科学力ではこの問題をまだ解決することはできないのだ。コールドスリープで今を保留して未来に希望を託す他はない。さあ、世界のケもじゃ達よ。眠りにつくのだ。未来の人類がこの問題を解決していることを祈って。おやすみ。いい夢を。