風が吹くまで昼寝でもしましょうか

 

 ねぇKさん、あなたに謝らなければなりません。もう何年も前、あなたが退職届けを出した時に引き止めてしまったことです。あの時なら間に合ったのかもしれません。少なくとも、こんな事態にはならなかったでしょう。あの時の僕は、本当にどうにかできると思っていたのです。ですが、結局、僕にはどうにもできなかった。引き止めた際の約束を反故にしてしまいました。

 

 ねぇKさん、僕等はどうすればよかったのでしょう。僕等は本気で会社をどうにかできると思っていましたね。もっと良くすることができると。

 

 あの場所は僕等が創った会社ではありませんが、よちよち歩きを始めた、従業員の数も片手で済むような時分から関わってきました。本当に何もない状態でした。すべてを全員で行なっていて、クレームの電話を受けながらデータの入力をしつつ横目でサーバのご機嫌を伺う、そんな状態でした。サーバといえば、サーバルームなんてご大層なモノもなくて、ただの囲いでしたね。扇風機でエアコンの空気を撹拌して何とかやり過ごしていたのも、今となっては笑えるネタです。

 今考えるとあの頃が一番おもしろかったのかもしれません。トラブルだらけで嵐のように過ぎ去っていく混沌とした日々。残業も徹夜も多くてフラフラでしたが、不思議と苦ではありませんでした。

 

 その後、事業はどんどん拡大をしていき、ヒトもどんどん増えていきました。売り上げも増え、目に見える部分でいえば会社は成長していました。しかし、この頃からだんだん先には進めなくなりました。継ぎ接ぎや突貫で作ってきたサービスは様々な脆弱性を抱え、それを運用する組織も同じように脆弱で未熟でした。来る日も来る日も、ひび割れだらけの水槽から、水が漏れ出すのをガムテープで塞ぐ、そんなマイナスをゼロにするための作業に追われるようになりました。

 ヒトが増えてもマネジメントが機能していなかったため、およそ組織としての体を成していませんでした。また、組織をまとめようにも、そもそも何をしようとしていて、どこへ向かっていきたいのか、誰も知っている者がいませんでした。偉いヒトたちも知りませんでした。彼らは親会社の意向を汲み取ることだけが仕事だと考えていました。あの会社が存続する理由を誰も知らない、そのことを全員が知ってしまった時から、すべては苦役に変わりました。言いようのない閉塞感が漂い、ヒトの出入りが頻繁に起こるようになりました。

 

 このままでは会社が駄目になってしまう、僕等の危機感は最高潮に達していました。危機感に突き動かされた僕等は、あらゆる部分を土台からやり直すことに決めました。再構築です。

 僕等はオフィシャルな場で演説をぶち、勢いに任せて関係者を巻き込んでいきました。もうその方向へと行くしかない、そういう流れができました。いま思えば、ここで僕等は間違えてしまったのかもしれません。急進的に物事を推し進めると、その反動が必ずあるものです。もうこの頃から警戒心を持たれていたのでしょう。

 

 再構築を進めていく過程で、僕等はあることに気が付きました。意図的に整備されていない部分、正されない部分があるということに。白黒ハッキリさせることが正義だと青臭いことを考えていた僕等は、そこに光を当ててしまった。正論を振りかざし、追求して追い込んでしまった。窮鼠猫を噛むではなく、ネズミがネコを追い詰めてしまったのです。まったく笑えません。ネコがその気になれば、ネズミを仕留めることなど造作もないことですから。

 彼等にとって重要なことはヘマをしないこと。上がりまで乗り切ること。立場が違えば見えているものも違う。そんなことにも気づかなかった。彼等の欲求とは共存するべきでした。叩いてはいけなかった。ネコの立場は尊重するべきでした。

 しかし、問題が明らかなのに対処しないという選択肢は、当時の僕にはありませんでした。いや、ヒロイズム的な思考に酔っていたのかもしれません。でも、ヒトを物のように、道具のように扱うことが許せなかったのは本当です。ただ消費されていく、摩耗していく、チームのメンバーをそんな風にはしたくなかったのです。

 なので、諸悪の根源にはご退場願いたい旨を直接伝えました。今にして思えば、手持ちのカードもないのによくやったと思いますよ。ただのバカですね。Kさんをはじめ、多くのヒトに軽率だと咎められました。もう二度とやるなと。まぁ、二度目のチャンスはもうありませんでしたが。

 

 結局、土台から作り直しが必要なところを、内装のリフォームだけで誤魔化す方向へ落ち着きました。騒ぎが起きてしまったので放置もできず、それっぽい対処をしたポーズを取る必要があったからです。その結果、社内にはコンサル崩れみたいな能書きを垂れるヒトや、どこぞで拾われてきた縁故の老害だのが跋扈し、偉いヒトたちを無条件で誉めそやすようになりました。裸の王様さながらの滑稽な光景です。

 

 飾り物の理念を毎朝みんなで唱和しながら、不正やハラスメントが横行する組織になりました。組織の精神は腐り、モラルは急速に低下しました。

 

 誰もどこにも責任を持とうとしない。そういう組織になりました。

 そしてゆっくり壊死するのです。

 

 誰もどこにも責任を持たないものですから、年長古参の人格者Kさんが責任を持たざるを得なくなるのに時間はかかりませんでしたね。孤軍奮闘、四面楚歌、その手の四字熟語がしっくりきそうな状態が続きました。

 

 そして、Kさんは双極性障害になりました。昔は躁鬱病といったそうですね。いまでは連絡を取ることも困難になってしまいました。一方の僕はといえば、狼藉者はすべからく島流しに合うのが世の理ですから、チームを取り上げられて生かさず殺さずです。程なくチームの元メンバーたちは会社を去って行きました。彼等が居なくなったことは、僕の取った行動の結果です。僕のチームはもう存在しません。

 

 ねぇKさん、僕等はどうすればよかったのでしょうか。あの時にはわかりようがありませんでした。誰かを救いたいと願って、結局は自分すら救えませんでした。Kさんが苦しんでいる時に力になれませんでした。一緒に活動した仲間は冷遇されることになってしまいました。皆を巻き込んだのは間違っていたのでしょうか。ねぇKさん、毎日眠るときに自問自答せずにはいられないのです。そんなことは無駄だと、不毛だとわかっているのに止めることができないのです。そして、これからをどうすればよいのでしょう。内を覗きこんでみても、無常感しかないのです。無力感しかないのです。ねぇKさん、僕等はどうすればよいのでしょう。どうすればあなたは救われますか。どうすれば皆は救われますか。どうすれば僕は救われますか。

 

 僕等は狭い世界に生きていて、そこから抜け出せないでいます。残念ながらそれが現実です。幸運なヒトたちは僕等を笑うでしょう、努力が足りないと。覚悟が足りないと。いいや、あのヒトたちは運がいいだけなのです。僕等と大差などないのですよ、Kさん。