本質的な価値を見いだせなくてもビビデバビデブー

 

隣の駅にエラく小洒落たケーキ屋がある。自由が丘あたりにでもありそうな瀟洒な外観は、セレブーでコマンタレブーな雰囲気がビンビンだ。
 
中に足を踏み入れると、そこは明るく品のある空気で満たされ、それでいて嫌味ではない、お高く止まりすぎない絶妙な加減の内装&インテリアの空間が広がっている。
 
冷ケースに目をやると、これまたオシャレっぽいデザインコンシャスなケーキ類が収まっている。もうね、アートか?オブジェなのか?ってなカンジなわけですよ。名前もいちいち凝ったやつが付いていて…一個も思い出せないが。まぁ、とにかくセレブーでコマンタレブーでビビデバビデブーなわけですよ。
 

店員のおねいさんたちも、清潔感のある洗練された雰囲気全開。何かが気化して漏れ出してるレベル。んで、お揃いのカワイイっぽい制服なんか着ちゃったりして、そのうえ変なベレー帽みたいなの被ったりしてるんですよ。ベレー帽(未確認)ですぜっ!?

 

そりゃ、雑誌やら何やらにも載るわけだよ。お客さんもセレブーで(ry

 

 

んでもね、美味しくないんですよ。ここ。いや、あまりの別世界ぶりからくる妬み嫉み僻み(ねたみそねみひがみ)のフィルターかかってるわけじゃなくてね、公正に判断した結果なんですよ。

 

まぁ、味覚というものは好みもあるし、主観的なものだとは思うんですよ(美味し○ぼで、旨いものは誰が食っても旨いって東西新聞の◯岡さんが言ってたけどね)。

 

では、なぜ美味しくないのに人気があるのだろうか?ちょっと考えてみました。

 

①ホントは美味しい

実は美味しいのにワタシの味覚が残念無念なので、その真価を理解できていない。

ん〜この可能性は否定出来ないかも…

 

②オシャレっぽい雰囲気に騙されている

なんとなく小洒落ているから美味しいような気がしている。

これが本命ではないかと思っている。結局、ヒトは見た目や評判で物事を判断しがちで、自分の感覚や感性で判断していないことが多いのではないか。いろいろ他人任せ。

このお店はメディアに取り上げられることも多いからねぇ。メディアの評価ってのも鵜呑みにするヒトが多いから。

 

③自分では食べていない

贈答用に使っていてモノを自分で食べていない。見栄えがよいので贈り物に使っている。

まぁ、ちょっと②に近いのですが、自分で食べてなかったとしたら、見た目や評判で選ぶかもね。でも、まったく食べないなんてこともなさそうな…。

 

実はワタシはこのお店よりも美味しいケーキ屋を知っているのだ。さらに隣の駅だけどね。ここは昔ながらのパッとしない外観と内装で完全に前時代的。ケーキも良く言えばクラシックスタイル、オーセンティック、トラディショナル。まぁ、今風ではないってことです。

 

しかし、美味しい。

 

いや、マジでうまい。

特に生シュークリームとレアチーズケーキが秀逸。やはりわかっているヒトはいるもので(いや、ワタシが違いのわかるヲトコ!ダバダ〜♪って言いたいわけじゃないですよ、え?ダバダ〜♪って何って?いやゴールドブ◯ンドってインスタントコーヒーがあってですね(ry )、この2品はすぐに無くなってしまう人気商品のようだ。遅く行くとけっこうな確率で売り切れている…。

 

でも見た目は…まぁ地味だわな。否定できん。

件のケーキ屋とはオシャレ度は比べ物にならん。たぶん儲かっているのはそっちだろう。でも美味しいのはこっちだ。不思議だ。食べ物の本質的な価値って「美味しさ」じゃないのだろうか。それ以外の価値も当然ある。情緒性や機能性、経済性…判断の切り口はいろいろある。それはわかっているが、「美味しい」ってのは一番重要な根源的な部分ではないのか?別に地味なケーキ屋だって見た目がグロいわけじゃないぞ!!ちゃんとしてるぞ!?他の価値がいくら高くても「美味しい」がなければ食べ物としては致命的だと思うのだが…。

 

ん〜件のセレブーでコマンタレブーでビビデバビデブーな店の繁栄が不思議でならないのだ。見た目か?雰囲気なのか?騙されているのか?マーケティング大勝利っ!!!なのか!?本質的な価値が低いものでもマーケティングは売っちゃうのか!?

 

いや、不思議だ。