煙草の煙が目に沁みて ちょちょぎれ涙は誰のため


深く反省せねばなるまい。己の罪深さを。

 

煙草をやめて2年以上が経つのだが、やめてみて初めてわかることが結構ある。例えば、その場の喫煙可否を気にしなくてもよいことなどは、自分でも思いもしなかったほどの気楽さをもたらしてくれる。本当だ。やめたことで得られるメリットというヤツだ。

 

反対にやめたデメリットもそれなりにある。細切れに空いた時間の利用方法などは、当初かなり困惑させられた。これまでは煙草を吸っていたであろう時間とタイミングに、何をしてよいのかわからなくなるのだ。まぁ、コイツは慣れと習慣の問題で、そのうち時間が解決してくれたが。

 

そうしたデメリットのひとつに他者の喫煙に不寛容になるということがある。これまで散々加害者をやってきたくせに、急に被害者意識が強くなるのだ。なんとも滑稽な話しだ。

 

しかし、滑稽だとは思いつつも、どうにも閉口させられることがある。

 

それは煙草の臭いだ。匂いではない。臭いだ。漢字とはなんともハイコンテクストなツールだ。言外に伝わる情報量が豊富でシビれる。

 

そう、臭いの問題は次のような時に鎌首をもたげて顕在化する。

 

説明しよう。

 

信じられないかもしれないが、この広い世の中には業務の延長上に位置する「飲み会」というものが存在したりする。別に何かの役に立つ訳でもないのだが。

 

誰も望んでいない、幸福からは程遠い催しなのに、何故だか無くならない。世界に数ある不思議のひとつだ。

 

この「飲み会」、通常ワタシはあれこれ理由を付けて不参加の方向へと回避活動を全力で行うのだが、そうもいかない場合が残念ながらあったりする。社会人なら誰だってそうだろう?本意じゃなくてもやる。それっぽくやる。それが社会の素ん晴らしいルールであり、イカすオトナのクールでスマートな振る舞いというヤツだ。憧れるだろう?

 

その日の催しもそんなひとつであり、不参加を表明するということは、この組織においてはカミカゼハラキリ的な気狂いじみた行為だとみなされた。まぁ、ジャイアンのリサイタルみたいなものなのだ。主催者含めいろいろな意味で。

 

和食居酒屋が予約され、組織ヒエラルキーの中間層以下に属する面々が招集された。30名程度はいたような気がする。それなりに広い空間が我々に充てがわれており、次々と店の奥に押し込まれた。

 

各人、わらわらと適当に席に着くと、間髪いれずに煙草を吸い始める。煙草は行動の起点と終点を司る記号なのだ。

 

ここでプカリと吸い始めた面々は全体の四分の三ぐらいだろうか。昨今のトレンドに反して喫煙率は高めだ。喫煙による健康被害が声高に叫ばれていても、ストレスフルな組織は別世界を生きている。ニコチンとタールが業務を円滑に回し、日本の明るい未来を支えているのだ。吸え、そして働け。

 

各テーブルに微妙なクオリティの料理が運ばれはじめ、"とりあえず"でお馴染みのビールがご登場。忙しい居酒屋はビンで勝負だ。生と付くモノがいろいろと危険でリスキーなことは周知の事実だ。

 

このご時世、労せず美味しいものが安価で食べられるというのに、多くの居酒屋のコース料理はなんとも残念な感じがするのは気のせいだろうか。原価率のことをボンヤリ考えながら料理を見つめる。高いのは家賃と人件費か。

 

残念な宴会は残念な料理を囲みながら、飲み放題の残念なアルコールを胃におさめつつ進んでいく。

 

ワタシにはオッサンのマスターベーションに付き合って一緒に興奮できるような、ハイレベルかつ高尚な趣味は無いので、主催者ジャイアン氏による「ありがたいお話し」は九割八分二厘ぐらい聞いていなかった。

 

他のよいこの皆さんはジャイアン氏が絶頂の喜びを得られるように、様々なテクニックを駆使して快楽を提供していた。ご苦労さん。アタマが下がるよ。

 

それなりに時間が経過し、それなりにジャイアン氏もオーガズムに達したので、哀れな仔羊たる我々もようやく解放される時が来た。

 

上着を羽織りワタシはなるべく他の面子に接触しないように、しかし、脱走したとは思われない程度に店から素早く脱出した。

 

何故か?

 

またまた到底信じられないかもしれないが、この世には「二次会」なる制度が存在していたりする。驚きだろう?

 

終電なんぞ構うものか、明日の仕事なんぞ構うものか、人間の尊厳や貞操がどうなろうと構うものか、という猛者どもによる酒池肉林の宴。それが「二次会」だ。愛憎入り乱れる人間関係が反映されるのも「二次会」の特徴だ。声が掛かるかどうかなど、狭いコミュニティでは重要視されるセンシティブな要素がふんだんに盛り込まれている。

 

そんな面倒はゴメンだ。もう役務は果たしただろう?早く帰って眠りたいのだ。

 

集団における次のアクションが定まらないうちに戦線を離脱する。これは鉄則だ。しばらくは出てきた店先でウダウダしているはずだから、その隙に離脱だ。

 

計画どおり隙をみてなんとか離脱に成功。自宅に帰り着く。室内へ入ると、そのままキッチンへ向かう。水道の蛇口をひねりグラスに水を注ぐと、ダイニングの椅子に腰を下ろす。

 

口もとにグラスを運ぶと、水を一気に流し込んだ。浄水器のフィルターを通過した水は極めて無臭だ。水を飲み干して深く息を吐き出す。そこで気付くのだ。自分の衣服が臭うことに。

 

それなりに苦しんで、やっとやめられたのに、自分では吸ってもいない煙草の臭いが強烈にするのだ。染み付いた煙草の臭いは、吐き出された時とは違うものになっている。より不快で下品な臭気へと変質している。

 

たまらずに上着を脱いで隣の椅子の背もたれに掛ける。しかし、臭気は付きまとったままだ。臭いが付くのは衣服だけではない。アタマから煙草が臭うのだ。髪の毛もたっぷり燻されたというわけだ。

 

本当に最悪の気分だ。仕方なく参加した飲み会でつまらない時間を過ごし、帰って来てみれば全身に煙草臭が染み付いている。煙草を吸っていた時分には気にならなかった。自分に染みつく臭いなど。

 

でも今は違う。とても気になるし、不快な体験でしかない。過去のワタシは、様々な場面で同席していた非喫煙者の人々に同じ想いをさせていたのだ。

 

鈍くなっていたのは嗅覚だけではなかったのだろう。ヒトを想いやれなかった後悔は、日陰の雪のようにいつまでも残りがちだ。黒く汚れていつまでも溶けない。

 

些細なことかもしれないが、これもそのひとつになりそうだ。対象はもう自分が詫びることのできないヒトも含まれる。今となっては申し訳ないと思うことしかできない。

 

だから煙草の臭いには閉口させられる。