分かち合えるモノは減っていく

 

インターネットの普及により、個人がアクセスできる情報の量が爆発的に増えた。

 
それに伴い個人の趣味•嗜好は細分化が進み、他者と共有できるものが少なくなっていった。
 
そうしてクリティカル•マスは存在しなくなった。
 
マスメディアを利用した一括大量マーケティングは効力を失っていき、パーソナルな領域へ深く入り込むアプローチが取られるようになりつつある。
 
プッシュ型にしろプル型にしろ、個人化された情報だけが届くようになる。
 
いわゆるセレンディピティの確率は下がっていくだろう。
 
意図しないモノとの偶然の遭遇は、イノベーション等ある種のケミストリーの要因なのだが、機会が失われることによって緩やかに死滅していくだろう。
 
情報過多と配信手法の高度化は功罪ある諸刃の剣だ。
 
ネットワーク化された情報網はシナプスになり得るのか。
 
処理能力以上の情報は有益なのか。恒常的にオーバーフローしている状態は、新たな価値を覚醒させる呼び水になり得るのか。
 
しかし、一番の問題は他者と価値を共有できなくなることだろう。
 
ソーシャルメディアはその穴埋めとして機能しているのではないか。
 
自己防衛的に。