お前のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ

自分の思考は果たして本当に自分のものなのだろうか。

 
おそらく、自分の思考を形成しているものは、これまでにインプットされてきた情報だ。
 
思考が情報の二次利用なのだとしたら、目の前の事象と既知の情報を紐付けして組み合わせるという作業がオリジナリティとなるのだろう。
 
同じ情報をベースにしていても、ヒトが違えば組み合わせの異なるアウトプットが発生する。
 
だから思考は自分のモノだともいえる。組み合わせにこそ個人の意思が反映されていると。
 
そうなのだろうか。
 
我々は二次情報のミックスジュースを吐き出すミキサーなのだろうか。
 
出てきたジュースは唯一無二のオリジナルなのだろうか。
 
それは自分の本物の思考なのだろうか。
 
本当に自分のモノといえる思考は存在するのだろうか。