一般社会を威嚇し続けるヒョウ柄の謎

 最近、ヒョウ柄の服を着用したオバハンにやたらと遭遇する。セレブ一押しの大流行スタイルというわけでもないし、多くの個体の生息が確認されている関西地方に住んでいるわけでもないのだが、これは日頃の行いのせいだろうか。毎日を誠実に実直に過ごしているのだが残念でならない。

 

 ヒョウ柄の服を着用したオバハン。

 

 もはや使い古されたジョークにしか思えないこの存在。何故にあのヒトたちは着用してしまうのかヒョウ柄を。どうにも不可解である。わけがわからないよ。

 「ヒョウ柄の服を着用したオバハン」がどのようなアイコンなのか、世間にどのような認知をされているのか、あのヒトたちは知らないのだろうか?いや、おそらく十分に理解をしているはずだ。十分に理解をした上で、あの衣装が生み出す禍々しいチカラを欲しているに違いない。

 「ヒョウ柄の服を着用したオバハン」は例外なく自分勝手なエゴイストで、ヒトの迷惑顧みずの天上天下唯我独尊の最強破壊生物兵器だ。なんせ己に野生の獣を投影しているぐらいだ。最高にワイルドなのだ。本能至上主義。

 あのヒトたちのマインドセットは、特攻服を纏った暴走族がテンション上がっちゃってアドレナリンがガンガン出まくって呂律が回らなくなってヨダレ出ちゃっているそれとほぼ同じであろう。判断力が著しく低下しているのだ。酒酔い運転ばりなわけだ。免取りだ。

 モチベーションの上昇、センスを共有する同胞への憧憬、一般社会への威嚇、これらの動機が複雑に入り混じった特殊な精神構造がもたらすイリュージョン。それが「ヒョウ柄の服を着用したオバハン」なのだ。

 

 それはそうと、「ヒョウ柄の服を着用したギャル(死語?)」という個体も世間には存在する。彼女らも時間の経過と内発的発展の結果によって「ヒョウ柄の服を着用したオバハン」になるのだろうか。それとも既に同じ精神構造を持ち合わせているのだろうか。謎は深まるばかりだ…。