用があってイギリスに行ってみた

今回、機会を得て英国に行ってきたので、そこで思ったことなどを備忘録的に書いておく体で、しばらくネタを引っ張れたらラッキーだなぁーなんてね…。

 
まずロンドンに着いてのファーストインプレッションは"暗い"ということ。夕方に着いたのだが、街がとにかく暗い。ネオンも看板もほとんどなく、ヒトもまばら。少し霧がかっていたこともあり、いまだにガス灯がともる街なのではないかと錯覚するぐらいだ。
 
また、高い建物があまりないことが印象的だ。世界屈指の大都会には空がたっぷりあるのだ。加えて、イギリスは地震などの天災が非常に少ないため、数百年前の建物が今も現役で普段使いされており、時間の積み重ねが醸し出す「品」のようなモノが街全体を覆っている。
 
そして、ここで驚嘆すべきことは、これが街の一部分ではなく、全体を通して徹底されているということだ。例えば京都は日本が世界に誇る素晴らしい古都だが、時間の積み重ねが街の全てに浸透しているとは言い難い。近代的な違和感や猥雑さを感じさせるスポットやエリアがチグハグに存在している。そのため、写真で見ると素晴らしいのに、実際に行ってみると余計なモノが景観に入り込んでいるということが多く、けっこうガッカリさせられたりする。もちろん、ロンドンも近代的な部分は存在しているのだが、不思議と調和と均衡を保っている。正常進化を遂げていると感じるのだ。これは、近代化をするにあたり、どれだけ時間をかけてこられたのかという違いなのではないかと思う。
 
日本は近代化を猛スピードで、それこそ猪突猛進でここまで来ている。その過程で、価値観の急速な変化に晒され、守るべきアイデンティティは何なのか、旧来の価値観とどのように融合するべきなのか、といった哲学的・思想的なアプローチをおざなりにしてきてしまったのではないだろうか。そうしたある種の歪みが街の造りに表れているように思う。アジアの急速に発展している都市に、何だか東京の街に通じる物を感じるのは、アジアということだけが理由ではないだろう。歪みの辿る道が同じなのだ。
 
西洋的なモノを盲目的に有難がるマインドなわけではないが、日本社会の成熟度はまだまだ英国には及ばないように思わされた。かけた時間が違うのだ。
 
日本の街は良くも悪くも混沌としている。魅力でもあり、未熟さでもある。勢い?パワー?猥雑さと汗ばむような熱気は失われていくのに、いつまでも続けてはいけない。大人になる時だ。実は我々はカオスに生きている。