あの夜、月が出ていたのかは覚えていない。

そう、世の中のヒトみんなイカれてるって。知ってるよ変態だって。誰も彼も例外無く変態だ。早く子供達にも教えてあげるべきだ。君だけじゃないんだと。安心しなよと。両肩をつかんでガクガク揺さぶられっこ症候群よろしくやるべきだ。

 

しかし、どうにも声を大にして「オレは変態じゃなぁーいっ!!!」と叫びたい瞬間がある。いや、あったと言うべきだろうか。

 

そう、それは今よりもちょっと前の話し。ワタシは丸の内線の中野坂上駅で降りた。当時の最寄り駅だったからだ。駅から山手通りを渋谷方面に向かって下っていくと、左手に再開発から取り残された、木造モルタルのおんぼろアパートがひしめく一角があった。そこは昭和を切り取って、そのままホルマリン漬けにしたような地域だった。「世界のタンゲ」丹下健三が設計した、超高層ビル”バベルの塔”東京都庁第二本庁舎を足下から見上げる退廃した昭和。地域のアパートに風呂がないのは当たり前で(余裕で2000年代の話しです)半径300m以内に銭湯が2つもあった。住民はアジア系の外国人か、水商売系であろう人々、それと老人ばかり。西新宿はそんな街だった。

 

深夜の終電間際の丸の内線から吐き出されて家路につく。山手通りからちょっと路地を入ると、そこは都心とは思えないような暗闇が続いている。路地へと曲がった瞬間から大通りの騒音がピタッと止むから不思議だ。細く暗い路地の坂道をとぼとぼ歩きながら、ふと目線をあげると前を若いオンナのヒトが歩いていた。ダーク系のスーツでタイトなスカート。ヒールの音を響かせながら歩いている。改札から地上へ上がるエスカレーターで、自分の少し前に彼女がいたことをぼんやり思い出した。まばらに設置されたあまり明るくない街灯が、彼女の影をアスファルトに落としている。

 

また目線を地面に落として歩きながら、ワタシは出しっぱなしにしてきた洗濯物のことを思い出していた。俯いた視界には前を歩く彼女の影がゆらゆらと入っていた。そして、しばらくすると、影のアタマが何度がクルっと動くのが見えた。何とはなしに目線を上げると、前を向き直す瞬間の彼女と一瞬目が合った。

 

気がした。

 

次の瞬間、彼女は走り出した。ヒールの音を派手に響かせながら、スカートがタイトなためストロークは短かったが、おそらく全力だ。

 

状況を理解するのに少し時間がかかった。確かに人気の無い夜道をあるく女性の心許なさは、オトコのワタシが想像する以上のものがあるだろう。それは確かに恐怖なのだと思う。日本は治安が良いとはいえ、その身の安全を100%保証してくれるわけではない。そう、走り出した彼女の心情を理解できないわけではない。

 

しかし、ワタシの繊細なココロは、変態認定されたという事実に非常に深く傷ついた。何がいけなかったのだろうか?顔か?髪型か?服装か?歩き方か?思い出していた洗濯物か!?いくら考えてみても自分が変態認定される要因がわからない。自分がちょっと変態なんじゃないかと心当たりがあるだけに、余計不安になってくる。しかし、通常は変態の片鱗も出さずにうまくやっているはずだ。変態であるが故に変態であることを全力でひた隠しにしているので、変態であることを見抜かれたことに大変な衝撃を受けざるを得ない。彼女は一目でワタシを変態だと認定できる眼力の持ち主だったのだろうか。否、恐らく違うであろう。あのシチュエーションにおいて、対象が何であろうとリスク回避のために自衛行動を取ったということだろう。

 

しかし、ワタシはどうにも納得がいかない。何年も経った今でもモヤモヤしている。そして思うのだ。あの時ワタシは全力で叫ぶべきだったのではないかと。「オレは変態じゃなぁーいっ!!!」っと。

 

本当は変態なのに。