そうまでして何を守るのか

 結局、組織はヒトを物や道具のように扱うことになるのだ。それが一番効率的なのだから仕方がない。そもそもが効率的に儲けるためにヒトを組織しているわけだから。

 先輩・同僚・後輩…周りにはメンタルに支障をきたしてツライおもいをしているヒトが結構いる。彼らに共通していることは、敬愛すべき人物であるということだ。優秀で他人を思いやることができ、正義感・使命感・責任感が強く、高潔だ。

 

 そして潰れた。

 

 彼らの美点をうまく突いて限界まで使い倒す。そういうことに長けているヒトってのは必ずいるもんだ。そしてこう言うのだ、

 

 「本人の性質・資質の問題だ」と。

 

 「体調管理は自己責任だ」「そもそも彼の能力に対して荷が重かったのだ」どこまで行っても問題の責任は本人に帰結する話しが繰り返される。「もうこの問題はクローズしたい」ってのが見え見え。表層的な心配や同情の小芝居はいつも同じ印象を残す。

 大変ですね、事務処理とお歴々の無罪の証明。

 「真面目にやるほどバカを見るんだからテキトーにやっておけばいいんだよ」彼らはそれを自分に良しとしないし、できない。そのアドバイスは無意味だ。彼らも潰れるまで走らずにはいられない。

 本当はうまく去なせないといけないのだ。周りも本人達も。潰しちゃいけないのだ。見ていないといけないのだ。気にかけていないといけないのだ。

 

 でも結局できないのだ。誰も余裕がない。当然、本人もない。

 

 そして繰り返される。踊り子が代わるだけ。舞台は同じ。セットも同じ。台詞も同じ。終わりも同じ。まばらな拍手。

 

 誰も幸福になんてなれない。