認めることができないからツラいのだ

やっぱり自分の価値観で全部判断しようとするとツラくなっちゃうんだと思うのです。自分が思う”あるべき姿”との乖離が許せなくなっちゃうんです。そいつを是正したくなっちゃうんです。んでもって、そいつができないと鬱になっちゃうんです。鬱になっちゃうヒトは、自分の理想やあるべき姿をしっかり持っているんでしょうね。なのでしんどくなっちゃう。

 

そういうヒトは、異なる価値観の存在を許容することが必要なのではないかと思いますよ。たぶん自分の価値観を浸食してくるのは、異なる価値観に生きる他人なのでしょう。自分の価値観に合致しない他人がストレスなのだと思います。別に平行して存在する価値観があってもいいじゃないですか。どっちかにならなくちゃいけない、なんていう決まりがある訳じゃなし。相手を自分の価値観に合わせようとする必要はないですよ。もちろん、相手の価値観に合わせる必要もありませんよ。ただ、異なるモノが同時に存在している、っと思えばいいんです。違うことに苦しんだり悩んだりする必要なんかありませんよ。

 

もし自分の価値観がマイノリティだとしても気に病む必要はありません。多数派が正しい訳ではありませんから。数が正義とは限りません。別に迎合する必要はありません。でも孤立するのはおススメできません。違いを認めた上で共存していく努力はしていくべきです。

 

あなたから見たら、くだらないヒトたちなのかもしれません。許しがたい言動を行っているのかもしれません。でもいいじゃないですか、それが倫理や法に反しないものであるならば、そんなものは放っておきましょう。心に介入させなければいいのです。そっちはそっち、こっちはこっち。それでいいじゃないですか。どこまでいっても平行線なのですよ。これは。それを認識してからが始まりです。